個性などというものを信じてはいけない。
もしそんなものがあるとすれば、
それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。
/ 福田恆存
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マイナビ2013の広告が叩かれている様子。
マイナビ2013の広告が気持ち悪すぎる
http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/blog-entry-96.html
「マイナビ2013」の広告ビジュアルは極めて考えもの
http://blogos.com/article/25899/
マイナビ2013の広告がすばらしすぎる件
http://onomiyuki.com/?p=360
一番下のは見出し詐欺で、結論的にはディスっていますね。
要は全面的に批判されている訳です。
批判内容は要約すると「学生を無個性に押し込めて画一化するのはケシカラン!」という内容です。無個性に押し込めるってなんだ。
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個人的には「まあ好きではないけどこんなモンじゃない?」って感じなんですが。
「考えるすべての就活生に」ってキャッチと共に、証明写真風の写真を並べる。別にまあ、普通です。普通というか、良く出来ている方のプレゼンです。
以下いくつかの考察。
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無個性で画一的か?という点について。
僕は「学生の制服も無い方がいい」と思うタイプなので、画一化には反対です。反対なんですが、自分が広告するのならまとめて同じ服にしちゃいますね。その方が伝わりやすいから。
学生だったら全員同じ制服を着せますし、サラリーマンなら全員スーツです。現実は10人に一人くらいは私服が混じってるんですけど、それを入れると画的に崩れるので普通はやらないですね。
自分の望む現実と、表現として望む描写は異なる、そういう事はモノ作りをしていると良くあります。
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あと、学生に画一化を強いている、というのは実際の就職活動がそうなので嘘付いてもしょうがないかと。実際、みんな髪を黒くしてスーツ着ますから。仮に広告に金髪ピアスや私服を混ぜて、「あ、それでいいんだ」と思った学生さんが落とされる可能性を考えれば、少しでもリスクは少ない方が(雑誌にも学生にも企業にも)いい。そういう判断でしょう。
これは広告の問題じゃなくて社会の問題なので、マイナビには責任は無い気がします。
そうした画一化された就職活動が嫌いな人が(企業側に)増えれば、採用する基準も変わると思いますが。
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実は僕は就活でスーツを着なかった(私服で通した)んですけど、今にして思うとすごく変な人でしたね。何百人も居る中でたった一人ですから。
いやだって「会社説明会」っていうから説明聞くだけだと思ってたんですよ。そうしたらそこでエントリーしろって言われてビックリ。
歳を取って面接側に回った事も多いんですけど、就活を一人だけ私服でやるのは全くオススメ出来ませんね。単なる変な人にしか見えません。というか、そんな人今まで居ませんでした。
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話がそれましたが、就活の話。
「この広告が嫌いな学生はマイナビに登録しないだろう」
って話がありますけど、そんな余裕は今の学生さんには無いんじゃないですかね。全就活サイトに登録し、あらゆる情報を吟味して、総当たり戦で行く。そういう状況だと思います。
理系やデザイナーなんかの専門職ではなく、文系の一般職なら特にその傾向が強いかと。
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「ポーズがジョブスに似てる」っていうのは全く感じませんでしたが、ファンの人にはそう見えるのかもしれませんな。というか、僕がジョブスファンでは無いのでそう見えないだけかもしれませんが。
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で、じゃあ学生の個性を重んじた広告にするにはどうすればいいのか?ちょっと考えてみます。
・全員バラバラの表情(だけど主に笑顔)。
・全員私服。
・「考えるポーズ」も各自自由に。
何でしょうね。この90年代のコカコーラCM的なビジョンは。
端的に言うとヒキが弱くて古い。
それに比べると、マイナビの広告はテーマが明快で現代風です。そういう意味で「届く広告である」と思います。
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以前あった、白のスクール水着で眼鏡をかけた女子が大量に出てくるCMも今回の広告に近いですね。
白のスクール水着?もメガネもおしゃれなzoffCMの水原希子ちゃん
http://blog.livedoor.jp/okuni_san/archives/3007294.html
も、わざと違和感を提示して「なんかキモチワルイけど、印象に残る」という感じです。
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広告としては強いリクナビが批判の嵐に晒されている現状。
ここが一番興味深いところなのですが、「印象的で就活生の心に届いてしまった結果として、批判者の心にも届いてしまった」という状況が発生してしまったところです。
ゲームもそうなんですけど、売れるゲーム(有名なゲーム)は批判に晒されます。もうこれは必ずです。それだけ人々に認知されるという事ですから。売れないゲームは「隠れた名作」か「本当に隠れてしまった駄作」の二つしか無いので叩かれません。
今回のマイナビは割と広告的に強めな手段を使ったが故に、就活生が画一的であるという、ある種の宗教的な問題に踏み込んでしまった訳です。
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今回、マイナビ側に叩かれる覚悟があったのか?と言うと、それは多分、無かったんじゃないでしょうか。もし意図的にやるなら「学生の髪型を全員髪型7:3分けにして同じ黒縁眼鏡を付ける」というような感じにして皮肉にしてしまうと思います。
多分、深い意図を理解されずに、もっと叩かれる気がしますけど。
もう一度マイナビの広告に目を戻すと、同じスーツの就活生が、同じ格好で大量に並んで「考えるすべての就活生に」というキャッチを付けています。これをよくよくよく考えると、この広告表現自体が現代の就活状況に対する皮肉にも見えなくもありません。(考え過ぎだとは思いますが)
広告は「多くの人に届く」事を命題としていますが、拒否反応を示す人がある程度以上大きくなると失敗になります。
そういう意味では今回のリクナビの広告は「良く出来ているけれど社会的に失敗した」という事でしょうか。
作ったクリエイターは頭をかかえているんじゃないでしょうか。
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ちなみに僕はスーツを持っていないので結婚式にも葬式にもほとんど行かないです。嫌がる人が居ますから。
しかし、普段画一化が嫌いと主張する人も、葬式の時だけはスーツ着ますね。普通は。「普通」は。
何事も一律の正解なんて無いのかもしれません。
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2011年12月5日月曜日
【日記】マイナビ2013の広告に見る表現の限界
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