2011年11月30日水曜日

【ゲーム開発】洋ゲーRPGは何故話が(僕の)頭に入ってこないか。

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完全な自由というものは、 生きていても生きていなくてもまったく同じになったとき、はじめて得られるものなんです。

/ フョードル・ドストエフスキー


最近洋ゲーRPGをプレイしているんですが、話が頭に入ってきません。何が起きてどうなってるんだか、さっぱりわからない。

ということで今日は「洋ゲーRPGは何故話が(僕の)頭に入ってこないか。」という事をつらつらと考えてみたりみなかったりシマス。



考察1 「言語的な相違」

オリジナルが英語なので、それをいくら上手に翻訳しても「英語感」が出てしまい、話として頭に入りづらくなるパターン。翻訳SFとかにありがちな「オマエこれ人に何か伝える事を放棄してるだろ」的な日本語。

まあでも、これは上手にやればなんとかなるのかなー、という気がしますが。



考察2 「覚えづらい名前」

「ジャック」とか「ジョン」とか「メアリー」だったらいいんですよ。でも、由緒あるっぽいファンタジーネームは覚えづらい。どのくらい覚えづらいかをゲームを例に出そうかと思いましたが、何かイヤな事が起きる悪寒がしたので、は以下の現実を参照。

ブルターニュ継承戦争 - Wikipedia http://bit.ly/rJtLQv

ザーッと呼んでも誰が出てきたのかさっぱり覚えられません。
やっぱり日本人に英語の長い名前は厳しい予感がします。

長い名前は順序良く覚えさせてもらえればいいんです。
ですが、洋ゲーRPGは次のような理由で覚える事を拒みます。



考察3 「いきなり大量の説明」

上の「ブルターニュ継承戦争」から冒頭の説明を抜粋します。

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ブルターニュ継承戦争(ブルターニュけいしょうせんそう、英語:Breton War of Succession, 1341 -
1364年)は百年戦争初期において、ブルターニュ公の継承争いにより起きた戦争でイングランド王、フランス王が介入し、両者の代理戦争の様相を示した。イングランドの支援を受けて1364年のオーレの戦いで勝利したジャン4世[1]がフランスの支援を受けたシャルル・ド・ブロワを破って最終的に公位についたが、フランス王シャルル5世と和解し、封臣として封建的臣従の礼を取った。
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いきなり知らない用語(「オーレの戦い」とか「シャルル・ド・ブロワ」とか)が連発され、覚えられないウチに読み終わります。記憶に残ってるのは「イングランドとフランスは昔から仲悪かったんだ」程度で。

実際のファンタジー系洋ゲーRPGの設定もこんなもんです。
イキナリ謎用語を連発するのはシナリオでは割とタブーなんですが、設定感を出そうとしてオリジナルの設定・複雑な用語をバンバン繰り出されるパターン。

これもまあ文化的な認識の違いがあるんでしょう。
日本でも歴史物をやろうといたら「天草四郎時貞が島原の乱で……」とかやりますからね。どちらが悪いか、とかでは無く、読み手側のレベルがおいついてないと、過剰な説明にはついていけない気がします。



考察4 「リアリティ重視」

設定がきちんと作り込まれて、街に行っても各キャラクターに名前があったりなんかしちゃったりしちゃったりして、「○○からの依頼で……」とか言われて、それがまた覚えられない名前で……という悪循環。

「酒場のオヤジ」とか、そういう軽めのポインタで語って欲しいんですが「酒場のジャン・ジャック・ルソー」みたいな切り口で言われるのでこれまた混乱する。

日本のRPGだと、覚えやすいようにキャラクターにデザインや意味をヒモづける訳です。たとえば「氷の国」に居る住人はみんなエスキモーみたいな格好をしていて、青と白で村が構成されている、とか。

このメソッドってゴレンジャーあたりから来てるんでしょうかね。黄色=デブ=カレー大食い、みたいな。

でも洋ゲーRPGはそんなイージーな事はせずに、どの村もどの村人もちゃんとリアルな中世の村人の服を着ています。だからどの村の誰だかさっぱりわからない。

「伝える事」よりも「リアリティ」を重視するのは、洋ゲーならではの価値観な気がします。



ちょっと話がそれますが、GTAIVを見てスゴイナーと思った事が一つあります。それは、街に歩いているほとんどの人に「話しかけられない」事。

考えてみれば、僕らは街で知らない人に声かけたりしないじゃないですか。だから話せなくていい。そういう仕様なんだとオモイマシタ。

自由度がある事が決してリアリティに結びつく訳ではない、という衝撃的な事例ですね。



まとめ。

海外で良く言われる「reality(現実感)」とか「believability(信じやすさ)」っていうのは彼等にとってのソレであって、日本人に当てはまるとは限りません。

逆にひっくり返すと、上記を満たせば海外受けする設定を作れそうですがモチはモチ屋というか、ずーっと暮らしている人達に任せた方がイイ予感がします。日本人が洋ゲーRPGっぽい設定作ろうとしても、アメリカ在住の日本ファンが作ったニンジャ映画みたいな事になりそうで。(そんな映画観たことないですが)

むしろ、分からない事を楽しむ。海外旅行で大変な思いをする、けど記憶に残るよね……という考え方を持つ方が楽しめるかもしれません。どっちがイイとか悪いとかじゃなくて、「違い」を楽しめる大人になるべきだと。

そう考えると、洋ゲーRPGを原語版でプレイするとか、ある種の究極のリアリティを味わえる気がします。



まとまってないような気がしますが、今日はここまで。
それでは。


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