2012年1月30日月曜日

【日記】ドライブゲー日和

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2laps to go !
リッジレーサー /



リッジレーサー3DSがソフマップのワゴンで980円だったので購入。
これが意外と面白い。

 ・懐かしいコースが結構あって郷愁をそそる。
 ・音楽がテクノばっかりで個人的に好き。
 ・オマケに音がいい。
 ・リッジらしい超ライトなゲーム性で気軽。

リッジが久しぶりというのもあるけれど、とにかく懐かしさでいっぱい。「チートレベルに速い1位の車に周回内で追いつく」とか「ドリフトしている間は勝手にコーナー回る」とか、シミュレーションをあざ笑うかのようなバランスが懐かしい。

シミュレーター系のゲームでもこういう挙動にセッティング出来るやつがあるけど、やっぱりどこか違う。というか、シミュレーターでこんなセッティングやろうと思わない。一回転してリッジ新しいと思いましたよ。ええ。

VITA のヤツもワゴンに来ないですかね……

リッジレーサー 3D
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004J18DK0/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=bukkoro-22



そうそう。リッジはそろそろ「壁に当たらないモード」を作って欲しいんですよ。
今でも大して減速しないんだから、もう壁に当てなくてOK。っていうか「中央を走った方が速い」とか、そういう無茶苦茶な仕様でいいんじゃないですかね?

他のレースゲーだったら許せない仕様でもリッジなら許せます。



という事で鎮火しつつあったドライブゲー熱が再燃しそうな予感。最近気になってるドライブゲーは

ニード・フォー・スピード ザ・ラン
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B005663H0I/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=bukkoro-22

なんですが、レビューの評価が微妙ですな。
というかEAは「Shift 2 Unleashed: Need for Speed」をローカライズする気はないんですかね? Shift
が好きだったので微妙に待っているんですが。



なんかレースゲーはちゃんと買ったモノよりワゴンで買ったヤツの方がハマる率が高いのは何でだろう。お値打ち感?

謎です。


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2012年1月20日金曜日

【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その3 「ソーシャルゲームが嫌われる理由」

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この世を動かす力は希望である。
やがて成長して果実が得られるという希望がなければ
農夫は畑に種をまかない。

/ マルティン.ルター



これまでの話。

【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その1 「それはゲームか?」
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11129148458.html

【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その2 「お金と時間」
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11135250229.html

の続きです。



なんか前回「あんまり面白くないなー」と思ったのでそう書いたら意外と「見てるよ!」みたいな反応を各所でもらってしまい、寂しく泣いている子みたいになったのでちょっと自重しようと思う41歳のヨコオです。



前回までは

 「ソーシャルゲームもゲームです」
 「ゲームでお金をかせぐパターンはとても多い」

ってな感じで。
それを踏まえつつ、今日は何故「ソーシャルゲームが嫌われるのか?」を考えてみる実験。

まずはいくつかの仮説。



仮説 「技量が反映されないから嫌いだ」
仮説 「お金で解決するから嫌いだ」

これは全部ソーシャルゲームの部分的な真実ですが、同じように従来のゲームにも含まれる現実でもあります。
技量が全く反映されない(もしくはゲーム性がほとんどない)ゲームはこれまでにもありましたし、お金でゲーム内のモノゴトが解決するゲームも存在しました。そもそもゲームを買うのにお金が必要な訳ですから、無料で万人に平等な体験を供するゲームなどほとんど無かった訳です。

この2点をいくらいじり倒しても正直なところソーシャルゲームを叩く論拠としては弱い、というのが僕の印象です。



では、料金が不透明な点を突いて

仮説 「詐欺のような売り方だから嫌いだ」

はどうでしょうか?つまり「無料で始めたけど事実上高い課金をしないとクリア出来ない」的なゲームです。あの耳障りなキャッチコピーで有名なドリランドがそのタイプです。


課金なしで探偵ドリランド頑張ったことで課金とはどういうことかよくわかった
http://anond.hatelabo.jp/20111227145909

僕がドリランドを無課金でも楽しめた理由と、やめた理由
http://togetter.com/li/237941


「最初は安いと言っておきながら、騙すように後から課金する」というやり方は風俗で有名なタケノコ剥ぎを彷彿とさせますね。

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タケノコ剥ぎ(wikipedia より)
性風俗店で用いられる用語で、ボッタクリ商法のひとつ。タケノコの皮をはがす行為に由来し、初期料金を安く見せかけ、女の子の脱衣や接触行為などのオプション料金を積み上げていった結果、法外な高額の料金になってしまうこと。
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こちらはある程度は同意出来る内容です。不透明な会計はやはり人を不安にさせます。だから嫌われる、というのは一つの答えかな、と思います。

とはいえ、昔のゲームセンターのガンシューなんかは「飲み会終わった後に連コインでワイワイクリアを目指す」というプレイスタイルがよくありました。全面クリアにいくらかかるか不明だという点では、タケノコ剥ぎ的な構造を持っているとも言えます。

ソーシャルゲームをクリアするにはバカみたいに金がかかる、という事も社会の常識になればそれほど問題視されなくなるのかもしれません。



ただ、なんていうんですかね。自分の中の深いところをのぞき見ると、論理的な部分じゃない気もするんですよね。

「(感覚的に)判らないから嫌い」
「嫌いだから嫌い」

こう説明した方がしっくり来る。個人的にもフィーチャーフォン発の「射幸心だけ煽って課金させる釣りゲーやカードゲーム」はあまり好きではありません。これを端的に感じたのは新垣結衣さんが出てるモバゲーのCMです。

(CM)新垣結衣 - モバゲー クリスマス with Mobage まってる。モバゲーと。篇
http://www.youtube.com/watch?v=pDl2KKpEgrA

待ち合わせ(?)で不安そうな顔のガッキー。暇つぶしにやってるスマホのゲームの画面はほとんど見ず、周囲を気にしてばかり……たまに画面を見ても気持ちが入っていない事がよくわかる。

「別にゲームを好きじゃないし、楽しんでないし、本当に暇つぶしのツールとして使う人種」

これを見た時、自分の作ったゲームをこんな風に適当にプレイされたくないな~と思いました。ゲームに限らず、表現に携わる多くの人はそう思うんじゃないでしょうか。

つまり、ライトなゲームにしたり、お金をかけさせる事は自分の中で問題なのではなくて。結果としてできあがったモノが「暇つぶしとして内容を見て貰えない(だから内容はコピーで構わない)」っていうムーブメントが苦手みたいで。

これが自分の中の不快感の根っこにある気がします。



でも、冷静になって考えてみると僕も同じような事をやらかしてるんですね。たとえばテレビ。

僕は一日中パソコンの前に向かって仕事をしているんですが、横で点いているテレビは完全に環境映像になっちゃってるんですね。誰かが一生懸命作った番組やCM、PVなんか全部流し見です。

自分にとっては一所懸命見るに値しない、まさしく暇つぶしな訳です。テレビ放送なんて無くても全然困らない。だけどまああるから流しておくか、程度のモノです。

これって完全にガッキーのCMと同じですよね。
テレビをバカにしてる。



こうした「どうでもいいと思ってるけど消費する人間」はユーザーのピラミッドとしては最下層です。ゲームもピラミッドの裾野が広がった事で、上の方(先鋭化した熱心なユーザー)と下の方(暇つぶしとしてしか考えない人)の幅が広がり、その結果、理解出来ない、理解したくないムーブメントが現れるようになったと。

これが世の中に「ソーシャルゲーム嫌い」が生まれた本質な気がします。



そして、僕としても、まあ、あんまり暇つぶしゲーに本流になられても困る訳です。ただ、そこにあんまり絶対正義があると思っていなくて。

人は自分のやっている事は清く正しく、相手が愚かで間違っていると思いたがります。たとえば、「ソーシャルゲーはつまらなくて、コンシューマーは面白い」とか。しかし、結局のところ「面白さ」や「楽しさ」の定量的な比較なんて出来ないので、どちらが優れているかを立証する事は出来ません。「オレが面白いと思うから面白いんだ」という反証の出来ないような主張は、感想であって定理でもなんでも無いからです。

反証可能性 - Wikipedia http://bit.ly/ypPll2

「面白さ」という基準を用いる限り、自分の正しさを証明したり、何か他のモノを否定したりすることは出来ません。たとえそれが気に入らないゲームだとしても。



じゃあ、自分の気に入らない状況を指をくわえて見てればいいのか?というところですが、ここで、不健全図書が話題になったときにマンガ家の島本和彦氏の名言を思い出してみます。

「いやな本をとりのぞくより-
 ケチケチしねえで
 おもしれえ本をバンバン買ってやるのよ!」(※)

※炎の言霊 島本和彦名言集より
http://www.amazon.co.jp/gp/product/402250840X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=bukkoro-22

この考え方が自分には一番しっくりくる。ソーシャルゲームを排除したり否定したりするのではなく、ガッキーが夢中で操作するようなゲーム性の高い製品を作る方向で頑張る。場合によってはソーシャルゲームの特性も取り込んだりする。そうする事で世界は(自分にとって)変わるんじゃないのかなーと。

なんだかキレイ事のようですが、汚いよりイイと思うんですよね。だってほら、小説や映画が高貴なモノだと勘違いしてマンガやゲームを否定したりする老害を僕らはさんざっぱら見てきた訳ですから。ああはなりたくない。



……というなんというかボンヤリ結論になりました今回。

いずれにしてもゲームという大きなくくりの中でここまで否定的な反応が起きたのはユーザーにとっても初めて体験な気がします。産業が成熟した事を喜んでもいいのかもしれないなーとチラッと思ったり思わなかったりシマシタ。

ということで、今日はこのへんで。
次回は。

「正しいお金儲けとは?」

の予定。多分、最後です。


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2012年1月14日土曜日

【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その2 「お金と時間」

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お前の毎日って今ゴミって感じだろ……?
無気力で自堕落で非生産
どうしておまえが今そうなのかわかるか……?
教えてやる
金を掴んでないからだ……!

賭博黙示録カイジ / 福本伸行



【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その1 「それはゲームか?」
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11129148458.html

の続きです。



ソーシャルゲームと言えば、ぷよぷよ米光さんの以下の発言

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なぜ「勝利を金で買える」のがイヤなのか。ゲームのジレンマは、ゲーム内ルールで発生するからこそ、(お風呂よりももっと)誰もがいったん平等にリセットしてゲームに入ってインタラクションもしくはコミュニケーションできるから、いい。のに、そこにゲーム外のルールをもちこんじゃうのは野暮よね。

https://twitter.com/#!/yonemitsu/status/116769944309481473
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が示唆的でした。結構、こう思っている人は多いと思います。
今日はそんな話からチョボチョボ考えてみたいテスト。



まず、本当に「『勝利を金で買える』のがイヤ」なのか?……って言われると僕はそんな事ないですね。実は。

ビデオゲームの攻略が努力と根性だけで行われるのが良いのか?と言われると、それ以外の多様な攻略があってもいいんじゃないか?という感じで。

「金でしか買えない勝利」があるとすれば、あまり好きじゃないんですが。まあ、それも最初から判っていれば構わないんじゃないかなーと。

そもそもゲームセンターのゲームは「100円払って死なないように気合いでプレイ」する娯楽でした。同じお金でも技量によって遊べる時間が変わる、という割とアグレッシブな課金形態です。



インベーダーや格ゲーなんかでブームにはなりましたが、基本的にはゲーセンのゲームはマニアのモノでした。やっぱり一般人は「怖い」んですよね。100円払っても1分で終了する(かもしれない)ゲームをプレイするのは。

当時、アーケード系の開発では何分プレイさせるのか?という事が重要視されました。正確に言うと何分で殺すのか、という話ですが。



100円で平均10分遊べるゲーム機があるとします。このゲーム機は一時間で600円、12時間で7200円を稼ぎます。大人気でずーっとお客さんがついている仮定ですが。

ゲーム機が20台あるゲーセンで全ての機械にずーっとお客さんがついている状態だと、一日で14万4千円の売り上げになります。これが平均で20分遊べてしまうと、一日の売り上げが半分になってしまいます。

当然ですが、オペレーター(ゲーセンのオーナーさん)は回転率の良いゲームを好む傾向にあります。ですから、開発会社もこぞって時間を短くしようとしました。



劇的な変化が訪れたのは対戦格ゲーの登場以降です。

今まではシューティングなんかで「3面あたりで死んで貰えばいいかな……」みたいなゲームデザインだったんですが、対戦になった事でユーザー同士が殺し合い、結果として超短い時間で猛烈なインカム(ゲーム機に入るお金)を稼ぐようになりました。しかも対戦する事で一台の機械で収入が倍になるんです。

オペレーターさんは大喜びですし、開発会社もどんどんそうした「金を稼ぐ機械」を開発しました。

結果として現場には「いかに短い時間でプレイを止めさせるのか?」という意識が芽生えていきました。何せ競合が対戦格闘ゲームですから、もう一分でも二分でも短い方がいいわけです。



結果として、難易度を高くしたり、ステージを短くしたりという工夫がなされました。で、さんざっぱらそういう事をやらかした挙げ句に、ゲーセンでは一日中閑古鳥が鳴くマシンが生まれたりしたわけです。南無南無。

それでもまあ、そういう課金もアリです。
何せ商売は自由ですから。



一方で家庭用ゲームの登場により「一定額を払えば後は払わなくていい」というお金儲けのスタイルが出てきました。
やっぱり従量制よりも定額制の方が安心な訳ですが、それでもやっぱり恐怖はついてまわります。

アクションゲームが下手な人。たとえばマリオなんかで1面をクリア出来ない人が居たとします。何千円も払ってゲームを買って、1面をクリア出来ないなんてなんか寂しいですよね。寂しいというより損した気分になります。

「自分の技量じゃ価格分を楽しめないんじゃないだろうか?」という疑惑が初心者の間でムクムクと出てきた訳です。



その頃登場したのがドラクエに代表されるコマンド式のRPGです。何せ順番にコマンドを選べばいいのですから、急ぐ必要はありません。またアドベンチャーなどと違ってハマリが発生する事は稀で、時間をかけてレベルさえあげればなんとかなる訳です。

ここで初めてゲームは下手な人にも体験の保証が出来るようになったんですね。技量依存からの脱却。「お金を損するかもしれない」という恐怖からの解放。

これは日本でRPGが流行った一因じゃないかと僕は思っているのですが。



ここまで見ると楽しさの量は

アクションゲームでは技量に依存し、
RPGでは時間に依存する。

こんな風に複数の儲け方があったわけです。
で、最近は

ソーシャルゲームではお金に依存する。

という新しいパターンが登場した訳で。



ま、過去でもお金依存の側面はありました。2Dシューティングゲームや、ガンシューなんかがそうです。

とにかくお金さえ積んでコンティニューを繰り返せば技量が無くてもラスボスまで見る事が出来るんですよね。そういう意味では今のソーシャルゲームに似て無くも無い気がします。

ただ当時のアーケード2Dシューティングなんかでは「コンティニューは技量が無い卑怯者のする事だ」という意識がプレイヤーにはあって、やっぱり罪悪感みたいなものは昔から存在していたわけですけど。



今後、マイクロペイメントの普及やソーシャルメディアの一般化に伴い、どんどんお金儲けの方法は多様化するんじゃないでしょうか。

ソーシャルゲームの儲け方は、既存のゲーム商売と対立するのではなく、むしろ融合・拡大するプロセスの途中なんじゃないかと僕は思う訳です。



ダラダラと長く書いて誰も付いてきていない事を感じつつも次回の「ソーシャルゲームが嫌われる理由」篇に続きます。


……いつ終わるんだろうこれ。


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2012年1月8日日曜日

【仕事】ニーアとか。

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最も難しい三つのことは
秘密を守ること
他人から受けた危害を忘れること
暇な時間を利用すること

/ マルクス・トゥッリウス・キケロ



大阪の方で行われた同人誌イベントのチラシがドラゴン&ニーアだったようで。この日記を書いている時にそろそろ終了している感じですが。

COMIC CITY 87
http://www.akaboo.jp/event/0108osaka87.html

ありがたい限りです。そして二つ並んでいるのは珍しい。
エミールとレオナールは相性良さそうですな。



島国さんが少しだけニーアに触れていたので。

今日のソレコレ:島国大和のド畜生 http://bit.ly/wH5vab

空白はプレイした人に埋めてもらう為の場所なので全然語ってもらっていいんですが、書かなかったのは制作者ならではの気遣いですかね。あとレビューがゲーム性や制作スタイル、マネタイズ関連に寄っている島国さんの特性のような気もするし、今の流行りのテーマな気もするし。



Twitter でもカキマシタがイロイロ。

【アンケート結果】泣けるゲームソフト20選、年末年始感動の涙を流したいあなたに……
http://www.famitsu.com/news/201112/30007900.html

歴史ある大作ソフトに並び12位とは。感謝感謝です。

あとは LoV 関連。
こちらで動画が公開されました。

『LoV』EXCELLENT!ブログ 第178戦 大晦日更新!
http://www.famitsu.com/guc/blog/LofV/10878.html

上記ボイス収録の様子が門脇さんのブログにも。原画がチロっと。

LORD of VERMILION Re:2
http://ameblo.jp/maitablog/entry-11121046350.html



MONSTER×DRAGON のレビューがチラリと。

「MONSTER×DRAGON」がゲーマー向けすぎて脳汁どばどば
http://www.excite.co.jp/News/reviewapp/20111227/E1324914681121.html

ゲームデザインには関わっていないのですが、本当にアグレッシブな作り方してるなーと思いました。レビュー内にも書かれていますが、ガワを変えるだけを良しとせず、ゲーム好きがゲーム好きの為に新しいゲームをウンウン頭をヒネッて生み出した……という感じです。

ちょっと敷居が高いのですが、興味のある方は是非。


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2012年1月7日土曜日

【ゲーム開発】ゲームとお金の話 その1 「それはゲームか?」

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個人でもそうなのだ
大人は質問に答えたりしない
それが基本だ

賭博黙示録カイジ / 福本伸行



この記事が気になったので。

どうして「ソーシャルゲームなんかゲームじゃない」のか?
http://blogos.com/article/27759/

先に自分の結論から書いておくと、僕はソーシャルゲームはゲームだと思っています。そして、疎外する必要があるか?と問われれば「無い」と答えます。

理由を以下に書きます。



まず前提としての、言葉の定義。

たとえば、映画。
だいたい1~2時間くらいの尺で映画館で上映するものをそう呼びます。ほとんど同じ内容でも映画館で一度も上映されていないものは「映画」とは呼ばれません。

たとえば、小説。
ある程度の長さで、印刷されたモノを言います。全く同じ内容でも音声だけで伝えられると「小説」とは呼ばれませんし、短すぎるとポエムになります。

たとえば、マンガ。
コマワリされて絵があるモノを言います。コマで割ってないモノは絵本との区別がつかないですし、絵が無いモノを漫「画」と呼んで良いのか割と微妙になります。

このようにメディアというのはその体験の本質ではなく、物理的制約や売り方によって定義される事がほとんどです。



一方で、ゲームの定義は「インタラクティブである事」くらいです。というよりもエンターテインメントのうちで「映画ではない」とか「小説ではない」という既存メディアが定義しないものを「ゲーム」と呼んでいるフシがあります。

ということで「ゲーム」は今のところ史上最大の範囲を持つメディアなんですな。

それより広いのはコンピューターとネットワークがもたらすサービスの総体くらいだと思いますが、こちらは広すぎてメディアとしての呼び名を持ちません(「インターネット」はシステム名ですし「ソーシャルネットワーク」は人間の関係性を示す言葉ですから)。

つまり「ゲーム」というのは今のところメディアの最終形態な訳です。(ちなみに、映画が出てきた時は映画が全部メディアを統合した最終形態だと思われていました)。

そうした可能性の幅が広い表現に対して「○○はゲームではない」として矮小化したりする行為には反対します。可能性が狭まりますから。



どのみちソーシャルゲームと普通のゲームは融合して境目は無くなると思いますけど。



あと、ぶっちゃけると僕は嘘をつきながら定義のギリギリに球を投げる芸風でやっていきたいので、メディア表現を幅広く横断する人が出てくると商売的に困るんですよね。一般定義がアイマイになるので。

という事で、ゲームを作る皆さんは従来のゲームからあまりはみ出さないゲーム作りをしていただけるとありがたいです。



この話続きます。





……続く

続くが……
今回 まだ その時と場所の指定まではしていない

そのことをどうか諸君らも
思い出していただきたい

つまり……
私がその気になれば
ブログの続きは
10年後 20年後ということも
可能だろう……ということ……!


それでは、また。


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2012年1月4日水曜日

【日記】小説短編「理解」

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結合した五つの語が示すのは
社会学に関する革命的洞察の要約。

理解 / テッド・チャン



むかーし読んだ小説のメモが出てきました。

あなたの人生の物語 / テッド・チャン
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4150114587/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=bukkoro-22

SF短編集なんですが、その中に収録されている「理解」という短編が好きです。これ、前にも書いた気がしますが……まあいいや。

で、色んな人にオススメしてみたんですが、どうも評判が悪い。



短編なのであまり書くとネタバレになりますが、簡単な要素を箇条書きにします。

 ・主人公が事故で脳に損傷をする。
 ・治療の為の薬で偶然に超知性を手に入れてしまう。
 ・そこから起こるドタバタ劇。

こんな感じです。ドタバタってのはまあ、サスペンスと言い換えていただいても。

「アルジャーノンに花束を」を想像した方も多いかと思いますが、アレとは全く異なります。あんなヒューマンなドラマじゃなく、もっとドライな感じですね(わかりづらい)。



この物語では圧縮言語が出てきます。主人公の知性が進むがあまり、自分の思考プロセスの為に新しい言語を生み出したのです。

これについて「短くなった言葉は人間にとっての進化を意味しない」と、そのアイデアが批判されているレビューを見ました。

このレビューは二つの点で間違っています。

まず、現代の言葉のデータ(構造や表現のゆらぎや余白)を完全に残したまま言語を短縮する事は可能です。普通の言葉の上にもう一層エンコードとデコードのレイヤーを持たせればいいだけですから(処理の時間は超知性がゼロにすると仮定)。その上で必要に応じた新仕様が乗るだけでも、言葉は劇的に進化するでしょう。

次に、この短編小説はそうした発想やガジェットが新しいのではなく超知性・高速思考を手に入れた主人公が終盤に見る新たなビジョン(とそこに到達するプロセス)が魅力なのです。途中の要素に瑕疵があったとしても、この魅力を損なうものではないと思います。



主人公はその知性のあまり武術の達人だけが到達するような境地に到達してしまいます。その説明描写が変わっています。何せ超知性ですから、僕らには見えてないモノが沢山見える。よく「映像化は不可能」と言われますが、これこそ不可能だと思いました。

そして、その戦いの以外な決着。

読んで思ったのですが、主人公の思考速度のせいで展開が異常に早く、短編になってしまった気がします。そこを含めて僕は傑作だと思っているのですが。



ま、小説の好みなんて人それぞれですからね。僕もこの本の他の短編は別に好きでも何でも無いですし(言わなくていい)。

それでは、また。


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2012年1月3日火曜日

【日記】エイリアン/インドターミネーター/花/過去日記

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戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいう。

読書の輪 / レフ・トルストイ



今日は動画とか。
twitter で教えてもらったモノなど。



ぐるナイでやってたスギタヒロシって人の「エイリアン」っていうネタが大変好みデシタ。

スギタヒロシ エイリアン(13:30 あたりから)
http://www.youtube.com/watch?v=N8t9c4zBmTY

エイリアン可愛いわ~キモイわ~



インドのターミネーター的映画「Robot」のダイジェスト版
http://naglly.com/archives/2011/01/india-movie-robot.php

スゴイなインド!普通の演出だったら「こうしたらリアリティが損なわれる」っていうところを思いっきりやるその気合い。
インドすごいわ~。オッサンキモイわ~



Flower Warfare: The Beginning
http://www.youtube.com/watch?v=-iuEYDFpP5M

着弾が花になる。素晴らしいアイロニー。
このグループは毎回面白い動画をあげますなあ。



上のリンクを貼ったら「ヨコオの昔の日記を思い出した」と言われたので貼ってみます。


停戦/平和を売る/花を贈ろう(前編)
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10195527910.html

パレスチナ解説/花を贈ろう(後編)
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10196600538.html

写真のチカラ/花を贈ろう(エピローグ)/あとがき
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10197353505.html


ちなみにこの日記「綺麗なヨコオさんを垣間見ることができて印象に残ってました」って言われたんですが僕はいつも綺麗です!ピカピカでツヤツヤです!



というか、ゲームでは何故倒したり斬ったり撃ったりするのが愉しいんですかね。包丁より日本刀を綺麗だと思ったり、旅客機より戦闘機をカッコイイと思ったりするのは何故なんですかね?

謎は深まるばかりです。


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2012年1月1日日曜日

【日記】アケマシテオメデトウゴザイマス

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未来(みらい、英: future)は、
これから来る時や時代を指す語である。

/ ウィキペディア



アケマーオメマーデスクリムゾン。
新年一発目の挨拶がコレ。先が思いやられます。

こんばんわ。ヨコオです。



享年じゃなくて去年は何言ってたかなーと検索してみました。

【日記】アケマシテオメデ○△×□イマス!
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10755017886.html

大した事言ってないな。良かった。



そういえば去年は無職になったんでした。

中国の偉いオッサン(故人)によると「四十にして惑わず」という事らしいのですが、歳を取るにつれてイロイロ惑うばかりです。

とはいえ、迷ってばかりも居られません。今年は何かを起動する年にしたいと思います。それが何になるのかはよくわかりませんが、とにかく始める事にします。※当ブログにいらっしゃってる皆様はもはやおわかりかと思いますが、全く期待してはいけません。期待されると、ホラ、アレですから。



あとなんか逃げてるみたいでヤなので書いておきますが、去年は酷い震災がありました。

地震と、津波と、原発事故と、人の死。

でも、僕は今年も去年同様に、いや去年以上にアホみたいに暮らします。好きな事やって酒を飲んで笑って暮らしますよ。それでビッグになって女子にモテモテになってイエーイ的な本当に楽しい一年にしてみせますとも。ええ。

去年が一番記憶に残った年になんてしない。
そう決めました。
皆さんもそうであらん事を。

では。


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