2014年1月14日火曜日
【日記】動かない絵本。
未来はもはや過去のものである。
/ 星新一
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子供にタブレット端末なんかで「動く絵本アプリ」を遊ばせていると、普通の絵本を「動かなくてツマラナイ」と認識して読まなくなる……という話を聞きました。本当かどうかは知りません。本当だとしても、それがごく一部の子の限られた現象(それをデジタル嫌悪主義者が拡散している)かもしれません。
でも、ありそうな話です。
そして、おそらくそれは未来の真実です。
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どちらが子供にとって良い事かは棚に上げておきますが、技術的・経済的・学習効率・娯楽性・利便性の観点から将来の児童書籍はそのほとんどがデジタルブックになると思います。紙の方が良いという意見もあるかと思いますが、デジタルの方が利点が多すぎて紙の製本は縮小せざるを得ないでしょう。
元々そうやってメディアは上書きされてきました。
たとえば、印刷。
大昔。何かの情報を伝えるのには口で伝える事しか出来ませんでした。
でも製紙印刷技術が発達した事で情報は多くの人に安価に拡散されるようになります。知識は拡散・蓄積され、娯楽は大衆の物となり、人類の発展に大きく寄与しました。
しかしその半面、人々の時間消費は「家族との語らい」から「外部知識を取り込む」事へとシフトします。家庭内世代間のコミュニケーションは失われ、発想の独自性は奪われてゆきました。知識の共有化は人々から盲信や神を奪っていきました。絵画や写真が複製される事で、人々から想像力が奪われていきました。
写真も、テレビも、ビデオゲームも同じです。
何かを与える物は、必ず何かを奪うのです。
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ソーシャルメディアの発達は現実のコミュニケーションとは随分違います。時間を合わせる必要も、空間を合わる必要もありません。相手の顔色を見る必要もありませんし、服を気にしなくても構いません。人付き合いに必要なコストの多くを削って快適にしてくれています。
相手の都合の良い部分だけを、自分の都合の良い時に見せてくれるメディア。だから皆がこぞって利用しているのでしょう。
「彼女と喧嘩した時に言葉で説明するよりも、LINEのスタンプを適当に送れば場が和み、それで仲直りが出来る」という話を知り合いがしていた時にはびっくりしました。
もちろん、スタンプのセレクションに神経を使っているのだと思いますが、それにしてもあまりにも急激に「やらなければいけないコト」が失われています。言語を使わないコミュニケーションがここまで進化(退化?)したのか、と関心するばかりです。
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昔の方が良かった、なんて言う気はありません。
むしろ今の方がいい。未来はもっと素晴らしい。
というか、選択肢なんて無いですよね。どんなに逃げようとも印刷物を読まなくてはいけない世界になってしまったように、未来のナニカは受け入れるしかない。一方通行の道のように、技術は革新されてゆき、僕らは過去を懐かしみながら未来に行く。人が滅ぶまでこの行動は続くんだと思います。
ファーストフードや電車の中で、その場にいる全員が誰とも会話をしないままケータイ画面をイジっている場面を最近良く見ます。リアル絵本を投げ出している子供と何も変わりません。
さらに未来。紙やリアルなコミュニケーションみたいな、古くて邪魔なモノをこそげ落としていった先には、一体何が残るんでしょうか。もしかしたら人間は単に技術を運ぶ船のようなモノでしかなく、全ての情報が集まった暁には人間は自分自信も不要だと判断して消し去ってしまう……という星新一の小説のような事を思ったりしたのでした。
それでは、また。
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