2012年11月30日金曜日

【日記】ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ヨコオタロウの日記-hqdefault.jpg


まだ何も伝えていない
まだ何も伝えていない

桜流し / 宇多田ヒカル



観てきました。
感想。ネタバレアリです。


































今日は本当に個人的な話。
「ヨコオにとってのエヴァ」的な。
とてもプライベートな話。

だからエヴァの話以外にも触れるし、貴方のエヴァンゲリオン観に合わない事も多いと思います。

それでも良ければ、どうぞ。



Qの感想を言う前に、まず「破」の感想のオサライから……と思って過去ログを検索してみたけど、大した事書いていませんでした。

序の感想
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10050072381.html

破の感想
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10300772015.html



「破」を初めて観た時、僕は3回泣いたんです。

最初は、エヴァ初号機が第三新東京市の隔壁を走るシーン。
二回目は、シンジがレイを救うシーン。
三回目は、エンドロールで。

エンドロールで泣いたのは「もうこれ以上面白いエヴァンゲリオンを見る事が出来ない」と絶望したから。



「破」の最後は自分にとって究極でした。


ほぼ総集編だった「序」を裏切るかのような変化。
エヴァファンが観る事を前提としたドラマ。
分かりやすいエンターテインメント性。
「これで完結していない」という希望。
何よりも、TV版の終了から13年の時を経てシンジがレイを助ける事が出来たという、カタルシス。


僕は、エンタテインメントというのは「落差」だと思っていて、その落差の大きさと仕掛けに呆然としたわけです。「破」のそれは尋常じゃなかった。何せ13年がかり。「序」すら踏み台にした裏切り。

だから「破」を初めて観た瞬間、この手に入った感動が、二度と手に入らないであろう事を理解して、泣いてしまったんです。



僕はエヴァにものすごく影響を受けています。しかも「何故面白いのか?」という点に惹かれています。いや、惹かれているというか「どうやったらコレが作れるんだろう?」と考え続けているんです。これは制作者にアリガチな思考だと思いますけど。

で、エヴァを観て自分なりに考えて辿り着いた結論は「考えながら作る」でした。「行き当たりバッタリ」とも言いますが。あれだけの変化や落差や感情の動きを最初からデザインするのは僕に出来ません。上手く言えないんですが、物語が右に行けば左に行き、上に行けば後ろに進む、そういうリズムと落差を重視しようと。

だから(エヴァに影響された)僕がゲームを作る時の考えてないっぷりはすごいです。全体を通した設定や、ドラマなんか全然考えないまま勢いだけで話を作ります。丁度今もそんな感じでゲームを作っているんですが、周りの人達は振り回されて大迷惑な事になっています。

でも、まあ、いいんです。
周りの人達は人間だから自立して生きていけますが、製品は誰かが面倒を見ないと死んでしまいますから。
そうやってエヴァの出来損ないを作っていた10年だった訳で。



そんな経験則から逆算して、エヴァに関して僕は「どうせ行き当たりバッタリに設定を作っているんだろう」とか適当な事を思っています(本当は知りませんが)。

適当に作るというか、その都度進路を決めて作っていくというか。ただ、一度作った設定や状況は死んでも守る。そうしないと世界がおかしくなります。適当に作るというより、一歩づつ世界を作っていく、という説明の方が合っているかもしれません。



以下は完全に想像なんですが、

「序」が総集編だったのは予算的都合だったんじゃないかと思います。「序」とパチンコが当たったから「破」は予定よりもお金と時間をかけて作る事が出来た。

だから「序」→「破」がここまでの落差を持てたのは、偶然。



「破」はこんな偶然で積み上げられたブロックをブチ壊すカタルシスがありました。なので、仮に「Q」が「破」と同じクオリティを出していたとしても、「破」の感動は手に入らないのです。

それを承知で(消耗戦のように)エンタテインメント路線を突き進むか、「REBIRTH」→「まごころを、君に」というようなアートへの変化をもう一度やるか。そのどっちかだろうと思い、劇場に行った訳です。

結果から言うと、半々でした、みたいな。



ほんの少しだけ「もしかしたら全く違う破滅的なエヴァが出てくるかもしれない」という期待もあったんですが、「破」で手に入れたエンタテインメント性を放棄できないだろうと思っていました。「面白さ」というのは麻薬みたいなものです。一度作ってしまうと、その呪縛から解かれるのは難しい。

「Q」は「破」と比較すると弱いながらも「面白さ」が含まれていました。もちろん、凡庸な作品と比べるととんでもなく面白いんですが。

こういう評論家じみた上から目線ってヤな感じですね。
でもまあ、それだけエヴァに吸引力があるという事で。



面白い一方で、「Q」は全体を通して暗いトーンが支配しています。
人類がほぼ絶滅してしまったように見える世界で、暗いネルフとヴィレの話。

ヴィレの登場人物達は意味ありげな事を言うばかりで、全く感情移入出来ず、反応するシンジの心理動線もさっぱり判りません(何故カヲル君の制止を聞かないんだキミは)。ゲンドウと冬月しか出てこないネルフは、どうやって運用しているかわからないまま、見せられるのはアヤナミとカヲル君の心理劇のようなモノ。

「『破』で面白かったけど、懐かしいエヴァに戻った!」

と思った人が多そうな低温の内容。
こういう部分は、次へのジャンプの布石なんでしょうか?
「序」から「破」に跳んだように、何かを溜めているとか?

こんな風によくわからないまま振り回されるのは、とても(自分の中の)エヴァンゲリオンらしい、と思うのです。

「帰って行った(※)エヴァンゲリオン」

というのが今回の僕の感想です。
※「帰って来た」ではない。



そういえば今回のカヲル君とシンジのラブっぷりについて知り合いの作家さんから

「女子はああいう風に皿に盛られるとダメなんです!エサは自分で探してくるからいいんです!」

って力説されたなあ。
女子はよくわからない。



なんとなくですが、最後のエヴァは2バージョンとかある予感がします。
僕だったらそうする。
次のエヴァがどうなるのかは誰にも判りませんが、こうやって予想するのは楽しい。

その答えが出るまでまた何年か待たされる訳ですが。



今回の劇場公開に先駆け「破」のTV上映があり、そこで「Q」の冒頭6分18秒が公開されていました。
BDが出るまでの間に観続けるモノが出たのは嬉しいと、映画の後に観たんですが、これ劇場版と違いますね。

あの変な歌が入ってない。気に入ってたのに。


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