人生は苦痛であり恐怖である。だから人間は不幸なのだ。
だが今では人間は人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。
/ フョードル・ドストエフスキー
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みなさまこんにちは。ヨコオです。
12月と言えば年末。誰もがクソみたいに忙しい中で現実世界をないがしろにしてこのブログを閲覧されているような皆様には大変疑問を持たざるを得ない訳ですがご来訪ありがとうございます。
と、ここまで書いて「去年は何書いてたんだろう?」と思ったら↑とほとんど同じ事を書いてて驚愕。というかタイトルまで同じですよ。人間って成長しないなあ。
【日記】ヨイオトシヲ
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11122545611.html
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そして、例の2012世界終末は来ませんでしたね。
日本はノストラダムスがブームになりすぎてマヤ暦完全敗北でした。終末プロデューサーとしての力はノストラダムスの方が圧倒的に優秀だったということで。
しかしあれですよね。みんな世界終末大好きですよね。
45秒後に地球人が全員一瞬で死ぬんだったら、それはそれで悪くない。そんな感じですか。
普通の死は怖いのに、世界が滅びるのが怖くないのは不思議です。
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人によっては、病気や怪我で苦しんだりする事がイヤ、だから普通の死が怖い。世界滅亡だったら一瞬で死ねるから楽でいい……というもあるかと思います。
でも安楽死や、飛び降り自殺や、爆死(?)あたりの手順を使えばそれなりに苦しまずに死ねる訳ですし、世界滅亡側だって未知の病原菌あたりが原因であれば、それなりのダンドリを踏まないと滅亡出来ません。隕石だって、飛び降りより速く落ちてくる訳じゃないですから、死ぬまでの時間は余計に長いです。
「世界滅亡」というキーワードがファンタジー過ぎて、実際に世界が滅亡する時の死に様をイメージしづらいから平気なのかもしれません。
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あ、でも光の速さでウンコすればすぐに死ねますが。
光の速さでケツからうんこ出したらどうなるの?
http://d.hatena.ne.jp/katti/20080212/1202750798
関係ないけど、溶鉱炉に落ちたらどうなるかは↓を参照。
人間が溶鉱炉に落ちるとどうなるか
http://blog.yokokanno.com/?eid=6
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話を戻して。
あと、個人の死が怖いのは「社会性の喪失が怖いから」も理由の一つだと思うんですよね。現実社会での自分の価値が失われる怖さ。さらに言うと、死よりも怖い状態として「社会と自己が切断される」という状態の恐ろしさ。
たとえばある日、ナニカの事故で貴方の意識が狂気に陥ります。狂うっていうことはコントロールを失うという事ですから、貴方は意味のわからない事を叫んだり、他人に攻撃したりする訳です。
貴方は完全に狂った訳では無く、認識や罪悪感はそのままに、ただ行動だけが壊れてしまう。親兄弟友人知り合い上司部下まで以前の貴方と比較して「ああ……」という困惑と哀れみの視線を向ける。
そういう状態は本当に恐ろしい。
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じゃあ、この世界に人間が自分しか居なければ平気なんでしょうか。
ちょっとイメージ出来ないですが、最後の一人なら「ま、いっか」と思って安楽死マシーンのボタンを押すかもしれません。「人類のエンディングを開始する」という壮大な役割がロマンチック過ぎて、死への恐怖がやわらぎそうです。
もしくは人間の居ない森の奥深くで暮らしながらひっそり死ぬとか。これなら社会性もクソもないですから、どんな状態になろうが死のうが平気です。あ、でも病気で苦しんだりしたら面倒だな……
とか考えながら、どうぶつの森をプレイしている年末です。
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ゲームクリエイター/ゲーム業界著名人に聞いた「2012年の注目タイトル」と「2013年に向けてのメッセージ」。2012年版では100名以上のコメントを掲載
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20121218003/index_9.html#other_yokoo
今年もお恥ずかしながら参加させていただきました。てか、また最後か……位置的な問題で恥ずかしさが一掃強調されます。
では、よいお年を。
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2012年12月31日月曜日
【日記】ヨイオトシヲ。
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